過去と現在
ダーウインが最初に訪れたウルグアイの丘陵地帯のマルドナードから目を向けよう。ダーウインは"町は1マイル(1500m)ほどの幅の、小さな砂丘の帯で河から隔てられている。他の側面はすべて広々とした、わずかに起伏する土地に囲まれ、見事な緑の芝生が、一面に生えそろっており、無数の牛、羊、馬の群がこれを食べている。耕された土地は町のすぐ近くでさえ極めて少ない。ここでは花崗岩の丘がやや厳めしい。風景が目を楽しませることはない。"と記述している。現在ここには南米随一とされるリゾート都市プンタ・デル・エステが作られ、夏期には100万人を越す人々でにぎわう。ここに連なる東部海岸には別荘地が散在する。しかし背後の草原は牧畜に利用されており、160年前と大きな差はない。
次に訪れたミナス市については、"この辺はむしろ丘が多いが、その他の点以外ではではウルグアイの他の地方と少しも変わったところはない。パンパの住人はおそらくこの岡を高山と思っているであろう。町はマルドナドよりもさらに小さな平原にあって、低い岩山に取り囲まれている。村の形はどこにも見られる対称型で漆喰塗りの教会堂が中心にあり、見かけはむしろ美しい。村はずれの家は平原からはみ出ていて庭も中庭もなく孤独そのもののようであった。"と結んでいる。ミナス市は160年前ダーウインが記録した時は人口数百人であったが、現在は3万人近くを越す県都となっている。しかし街と教会を含めて人家と平原の接点はほとんど変わっていない。変化といえば、ユーカリの植林が導入され、あちこちに見られること、大型トラクタ-耕運による馬鈴薯、麦、米などの栽培が国道に沿って行われているぐらいである。相変わらず全面が放牧地なのである。
ヨーロッパ人が入植を開始した1500年代からウルグアイの自然がどんなに変わったか、詳しい記録は今ではほとんど残っていない。しかし、入植前の植生や動物の分布がどのようなものであったにしろ、現在の生態系にまで変化をもたらした最も重要な要因が牛・羊の放牧であることに間違いはない。ダーウインが訪れた1832年はすでに入植から300年近く経過し、ほとんど全土が牧場化して、自然破壊の極相となっていた。このことはダーウインも意識していた様子がうかがえる。ライエル氏の言葉から次のように引用している。"1535年にラプラタの最初の移住民が72頭の馬をつれて上陸して以来、これほど著しく変貌した国はおそらくあるまい。馬、牛、羊など無数の群が、植物の全景観を変えたばかりでなく、グワナコ、シカ、ダチョウなどをほとんど駆逐してしまった。その他の変化も同じように無数に起こったに相違ない。"と言っている。植生におよぼす家畜の影響についてダーウインの直接の記述では"モンテビデオ付近と、人口の少ないコロニアの草原とでは甚だしい違いが見られるが、これはすべて家畜の糞による肥料のためであり、また家畜が草を食うためによる。北アメリカの草原でも同じ事実が観察されている。5ー6フィートもある禾本科の植物が牛に食われると普通の牧場に変わってしまう。"と述べ、アザラもこれに類した変化を見て驚嘆して次のように述べている。"新しく建てた小屋に至る道の両側に、それまでこの付近に存在しなかった植物が新たに現れることについて、野馬が道をえり好みして道ばたに糞をする癖があり、近くに堆積している。こうして豊かに施肥された土地の線が広漠とした地域を貫く交通の道となっている。"という説明である。 これに関連して、世界中ほとんどの地域では動物の糞を処理する糞虫(フンコロガシ)がいて、牛や羊の糞を数時間のうちに土の中へ埋め込んで、自分の幼虫の餌にするのが普通である。この国には膨大な牛・羊がいるにも拘わらず、この糞虫に該当するものがいない。従って、家畜の糞は、雨の少ない時期には円盤のように固まって草地のあちこちに散在することになる。雨期になると溶けて土に還元される。ボリビアの高地などでは貴重な燃料になるそうだが、ウルグアイでは無視されている。残念なことにこの糞に興味を示す鳥も見たことはない。