パンパの鳥たち

牛や羊の遊ぶ南米の広大なパンパにはどんな鳥が生活しているのか?バードウオッチャーなら誰でもその夢を一度はかなえたいと思っているに違いない。しかし、南アメリカ南部のパンパに生息する鳥の情報は非常に少ない。ラ・プラタのデルタ地帯をのぞけば、この地方は植生が単純で、餌になる植物の種子も小さく、昆虫も少ない。従って小鳥類の密度は低く、目を引くような種類も少ない。現在南米南部地域は経済的、文化的に活動が停滞している時期で、鳥に対する関心が低い。しかし、明らかに四季があり、季節による植物の変化(落葉植物も多い)鳥の渡り現象等も顕著に見られる。
歴史的にこの地の鳥類について初めて詳しい記録を残したのはドン・フェリックス・アザラ(1746ー1811)であった。彼はスペインの博物学者であり、1780年南アメリカに赴いて、スペインとポルトガルとの間の紛争となった領土の境界を測量し、20年間滞留した。その間ブエノスアイレスとパラグアイとの地図を作り、博物学を研究した。1802年"パラグアイとラプラタの獣類、爬虫類及び鳥類の観察"などを著した。
1832年には有名なダーウインがビーグル号に乗ってこの地を訪れ、2年間調査を行った。鳥類についても科学者らしい詳細な記録を残している。しかしパンパでの調査が主として冬期(7月)から春期(11月)であったため、調査の対象からはずれた鳥も多く、特に盛夏ならどこにでも見られる水辺の小型の鳥類について全く触れられていない(ビーグル号航海記、種の起源)。そしてガラパゴス島の鳥類に関する考察が余りにも有名になり、今までダ-ウインの言及したパンパの鳥について取り上げられる機会が少なかったのは残念である。
次にパンパの動物を世界的に有名にしたのはウィリアム・ヘンリイ・ハドソンである。彼は100年以前に名著"ラプラタの博物学者"・"遥かなる国遠い昔"・"ラプラタの鳥類"を著した。彼はダーウインの"種の起源"や"ビーグル号航海記"のパンパに関する考察を引用しながら批判も加えている。そしてラ・プラタ河畔の特徴のある大型の鳥や、すばらしい小鳥の生活を生き生きと文学的に表現した。
今、人口の都市集中・熱帯雨林の減少・砂漠化の進行など、人類による自然(生物の多様性)破壊があらゆる地域から報告されている。すでに100年前ハドソン達は人類の活動が自然に大きな影響を与え、北米、ニュージーランド、オーストラリアそして特にアルゼンチンのパンパで貴重な生物種を消滅させていることを警告していた。ダーウインが上陸して鳥類の調査をしてから約160年経った今、この地と、そこで生活する鳥たちはどのように変わったのだろうか。またハドソンの生活したブエノスアイレス近郊のキルメスとパンパの鳥はどの様になったのだろうか。最近我が国では南米の小動物全般を扱った森氏の"知られざる南国の動物たち"が出版され、その中でパンパの鳥類のいくつかが興味深く紹介されている。1997年にはNHKのテレビでも"アマゾンカッコウの謎"と題してパンパの美しい小鳥の映像が本格的に紹介され、一般の人にも関心が深まってきた。著者は1988年3月から1990年の9月まで2年7ヶ月間ウルグアイのモンテビデオに滞在し、その間ウルグアイのほとんどの地域でパードウオッチングを楽しみ、撮影できるものはビデオに収めた。ウルグアイの小鳥の特徴は人の動きに対する警戒心が少ないことである。日本では小鳥のビデオによる撮影はなかなか難しいが、ここでは比較的簡単であった。またブラジルではイグアス滝、ブルメナウの自然公園、フロリアノポリス、ラグーナを、アルゼンチンではフフイ、サルタ、チグレのデルタ地帯、森林湖沼地帯のバリローチェ、チリではアンデス山脈の峠にあるポルデージョ、バルパライソ、パプード等の海岸地帯、農業地帯のロスアンデス、キヨタ、さらに内陸部のイリャペル、サラマンカなどを訪れた。自然にダーウインの訪れた後を追う形となり、その比較に関心が湧いた。この小文を書いた一つの理由である。


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