ウルグアイの植生
ダーウインの見たウルグアイは全面的に大きな樹木がないことが特徴であった。"若干の岩山は所々藪で覆われ、大きな流れの岸、特にミナス市の北方では柳が稀れではない。タペス河の近くにシュロの林があることを聞いた。一般に樹に乏しいが今述べた樹とスペイン人が植えたものが例外となっている。輸入された物ではポプラ、オリーブ、モモその他の果樹が数えられる。モモは非常に良く生育して、ブエノスアイレスの市では薪の主な材料となっている。パンパス地方のように、極端に平坦な土地は、樹木の生長に都合の良いことはまれである。おそらく、南西の強風(バンペイロ)のためとも、排水関係によるためとも考えられる。

しかし、マルドナドの周囲の土地の性質にはそうした理由は成立しない。岩の多い山地が保護をされた状態にあって、種々の土壌があること、小流はどの谷底にも常にあり、粘土質の土は水分を保つに適している。森林帯の存在は一年中の湿気の量の多少で決定される。しかも、この地方は冬期に大雨が頻繁で、夏期は乾燥してはいても甚だしくはない。"と述べている。ハドソンもパンパに大木がない理由について原因の解明に苦慮している。彼は、1840年代にオーストラリアから導入したユーカリが旺盛に生育し、牧場の牛の避難場所になったり、燃料として重宝されるようになったので、南西の強風説は打ち消されたと考えた。私はモンテビデオ近郊のラスブルハスでユ-カリのひこ生えが一年間に4m成長するのを実際に測定した。
もう一つの有力な説は旱魃である。ダーウインによると"1827ー1830年にわたってグラン・セコすなわち大旱魃と呼ばれた期間があった。そのときには雨がきわめて少なく、植物はアザミまでも枯れ、小川は干上がり、この地方一帯が埃りっぽい街道のような有様となった。おびただしい鳥、野獣、牛、馬の類が食料と水との不足のために死んだ。実見した者の話によると幾千の大群をなした牛がパラナ河に突入して溺れてしまったという。このような旱魃(セコ)はある程度まで周期的のものと思われる。他に数例の年代を聞かされたがその間隔は約15年である。"と説明している。ウルグアイの農牧省に残されている記録では最近でも30年、60年の周期で大旱魃(2ー3年間夏に雨が降らない)があった。乾燥のため植物は枯れるが、火事による被害がさらに大きいことを挙げている。ユーカリの場合、葉が堅く乾燥に強い。根が深くまで入っているので、地上部が火事で焼けてもほとんどが再生し、旱魃や火事には強い。海岸保安林での火災現場で、松はすべて枯死していたが、ユーカリは再生している様子が観察できた。滞在中の1989年も干ばつ年で雨量は年600mmで、多くの牛羊が処分されるのを実見した。