150年間の変化
ダーウインの後を辿って2年半、鳥類の観察を行い、航海記に記された場所で見られなかった唯一の鳥がハサミアジサシであった。この鳥は160年前モンデビデオ港の奥の浜辺に群居していたと述べられているが、現在ではそこには精油所があり、廃油、ビニール、ゴミなど汚物のたまり場で、とても海鳥の生活できる場所ではなくなっている。しかしハサミアジサシ自体は近くのサンタルシア河の中州や川岸にかなりの数が生息していた。1833年10月ダ-ウインはパラナ河でも観察していた。
ダーウインが最も関心を持った鳥はダチョウであった。"ミナスで大理石の層を調べるためにやや不規則な経路を採った。見事な広い芝原に多数のダチョウを見た。ある群は20羽か30羽ほどもいた。小高い丘に晴れた空を背景として立つと、この鳥もみかけははなはだ気品がある。こんな人慣れのしたダチョウは他の地方では見なかった。"とやや文学的に述べている。さらに南に生息するやや小型の種にはダーウインレアの名が付けられている。この大型の鳥は飛ぶことができず牧柵をくぐることもできないので、全土が牧場となった時点で全くの家畜状態に陥った。以前はこの鳥を投縄やボラスで捕らえるスポーツが流行したそうであり、一つの巣に共同で産卵する性質から卵を食用にした時代もあったという。しかし行動が制限され、密度が減少したため全国的に保護の機運が強くなり、パンデアス-カルのピリアポリス動物園での人工飼育なども加わり、現在ではやや増加の傾向にある。
ダーウイン時代と最も違っている状況はやはり道路とモータリゼションであろう。ウルグアイに限らず南米の国々では道路を中心に興味ある人為的生態系が生じている。車の通りの多い道路ではその近辺に現れる鳥類が周辺の原野に比べて多い。騒音や排気ガスなどは阻害要因のはずなのに何故であろうか?それは鳥の行動を観察しているとすぐに納得できる。車の走り去った後に鳥が集まる場所を見ると、そこには車にはねられ死んだ、小型の動物の死骸がある。または荷台から落下したもの、運転台から投げ捨てられた食べ物などが多い。多くの場合、夜間出歩く小ほ乳類・爬虫類(オポッサム、スカンク、イグアナ)が道路を横断中に光に目がくらんで轢かれたもので、朝から多くの猛禽類(カラカラ、ヒメチマンゴ)の餌になるのである。さらに通常肉食ではない小鳥の類も沢山集まってくる。従って南米の代表的な高速道路である南米縦断高速道路(パンナムハイウエー)では周辺が動物の少ない砂漠地帯を走るにも拘わらず車から見える鳥類の姿は多い。
ウルグアイの鳥は単調な植生から餌の量が十分とはいえず、密度もそれほど高くはない。しかし、ダーウインも注目したように猛禽類の比率が非常に高いということは確実にパンパの特徴であろう。ドルビーニ氏から引用して述べているように、家畜が移入されて以来、腐肉を食うハゲタカの増加は限りなく大きなもので、南方へ分布を拡張したと信じられる理由もあるという。パンパの牛や羊を中心とする牧場という環境では、死亡した動物はそのまま放置される。また、屠殺場という特別の場所から大量の動物質の廃棄物が出される。本来肉食性のワシやタカは皆この餌をねらっているが、元は食植性・昆虫性と思われるマネシツグミ、ナンベイケリ、シャクケイ等の鳥類までこの国では肉を好んで餌とする。そして屠殺場は通常海岸から数十キロは内陸にあるにも関わらず、屠殺場のゴミ捨て場の主役はカモメ、ウ、アジサシなどの海鳥で、これにタカ、トビの類、小鳥の類まで加わり騒然とした雰囲気となる。カモメやウは毎日朝早く海岸から内陸に出かけ、夕方に海に帰る暮らしをしている。 モンテビデオ市周辺に限られるが、ゴミ処理場付近での鳥類も多い。他の地域ではゴミは再利用や家庭内での処理が多いので処理場はない。
鳥がよく集まるもう一つの人間と関係のある場所は耕運中の場所である。ジャガイモ、大豆、小麦、米などの作付けのため、大面積の土地が大型のトラクターで耕運される。その際地下から掘り出される小型のネズミ類、昆虫類などを求めて多種類の鳥が集まってくる。トラクターの直後を追うのはネズミ類をねらう大型のワシ、タカ、カモメなどで、遠目には大海をゆく船の後を追う白いカモメの大群という情景が広大な平原に繰り広げられる。昆虫を狙うのはやや小型のナンベイタゲリ、キバラタイランチョウ、ツグミの仲間、コウウチョウなどで、争って餌を探す。ここではもはやトラクターが生態系の中の生物の一種と実感される。