まえがき

農業におけるハイテクノロジ−の導入は品種・耕作技術・収穫機械・品質管理等に目覚ましい成果を上げている。それでは病害虫防除分野ではどうであろうか?昭和40年代には発生予察と新農薬の導入で防除技術がハイテクの代表のようにもてはやされた時代もあった。しかし現在では環境に優しい農業を要求される時代となり、農薬だけでは病害虫防除の責任を果たせなくなっている。農業生態系の中にトンボ・ホタル・メダカ・アメンボなどのアメニテイ−動物が生息することは良いことである。しかし、生産性を上げるために農業技術が積み上げられてきた結果、それらの生物の存在が許されなくなった。他にも果樹園の合理化のために防風樹を防風ネットに変えたため、天敵の生息場所が失われ、害虫の制御が困難になった例や、害虫防除に使ったある種の殺虫剤のために、天敵の活動が妨げられ、かえってその害虫が多発した例、多収をねらった施肥が作物を軟弱にして、病害の発生を助長した例など試行錯誤の例は枚挙にいとまがない。しかし、それらの技術は改良を重ね解決の努力がされている。アメニテイ−動物の存在が人間の生活にも良好な農業生態系の指標であると主張する人々もいるが、単に昔に返すだけであれば農業の生産性も昔に帰るに違いない。生産性を低下させることなく目的を達成するためには、高いコストがかかる高度な生態系の管理が必要とされる。どちらをとるかは生産者の選択次第であるが、消費者も農産物の価格や供給状態などを率直に考慮すれば選択に苦慮するに違いない。このような状況にあって、土着天敵を利用した害虫防除技術を実現する立場を明らかにしたい。全ての作物でこのような技術が実現できるわけではないこと、条件を整え綿密な計画を立て実行することによってのみ効果を上げることができるハイテクのロジ−であることを認識する必要がある。あえて遺伝子操作と比較すればゲノム分析は天敵の分類・同定技術に相当し、遺伝子増幅は天敵の大量飼育やバンカ−プラントなどによる天敵の涵養に、形質発現技術は害虫に対する天敵の抑制効果発現法に相当する。両者とも最終的には生産物の品質向上や栽培の容易な系統の作出であり、永続的で再現性の高い生産技術の確立を目的としている。このように土着天敵による害虫の被害防止技術は農業におけるハイテクノロジ−の一分野であり、簡単に実現できるものではないことを重ねて認識すべきである。


1.土着天敵の役割と評価

 農耕地及び周辺環境の多くの昆虫とその天敵類は農作物の害虫を制御する重要な資源である.したがって周辺環境での生物相のモニタリングとその情報処理は農業の害虫防除と重要な関連性がある。生態系の機能を有効に利用したり、新たな天敵の導入を図ったり、害虫や天敵の行動を少量の化学物質で制御するなどの手法を用いて昆虫との共生を目指すのが今後の害虫防除の方向である.,
 天敵は害虫の色々な発育時期に寄生したり捕らえて餌にし被害を防いでくれるが決してその害虫を絶滅させない。なぜなら相手が絶滅すれば自分の子孫を残すことが出来なくなる。また害虫の密度が低くなると、探すために時間がかかるのも一因である。そのため害虫の完全な防除を目標としてはならない。現在の化学殺虫剤による害虫防除は農業生態系に種々の強い影響をもたらすことから、もう少し穏やかな防除法の利用が強く期待されている。その代表とされるのが生物的防除法である。しかしながら殺虫剤に代わる天敵の有効利用は複雑な生態系を人為的に調節することでもあり、過去の歴史を見ても容易でないことが理解できる。また天敵を利用する際に忘れてならないのは、このような害虫の防除に役立つ天敵を餌とする高次寄生者や高次捕食者が存在することである。病原微生物も有用な天敵を倒すことがある。このような食物の連鎖をよく知らなくては天敵をIPMに利用することは困難である。
さらに具体的な場面を考える。 害虫には作物圃場で一生を過ごす害虫(定着性害虫)と、外から侵入してきて被害を与える害虫(飛来性害虫)がいる。定着性害虫は薬剤による一時的な防除効果も高く、毎年の防除の積み重ね効果も大きい。また慣行防除体系の下でも天敵が効果を発揮しているのが普通の状態である。天敵が防除の主役となっている害虫は密度が低く押さえられているのでなかなか目に付かない。 カメムシの大発生時のように、予定外の薬剤散布が行われると、今まで天敵で抑えられていた害虫が突然現れることがある。その他に、主要害虫の防除に使われている殺虫剤が常時天敵の活動を阻害しているハダニ類・ハマキムシ類などなどの天敵は害虫が増えてから働く仕組みになっているので、被害防止にあまり役立たない。
 飛来性害虫の防除には発生予察と組み合わせた薬剤防除が必要とされる。ところがこれらの害虫は発生地域が周辺の広い地域や外国などににまたがるため、飛来時期も発生量も予察が困難である。従って殺虫剤の効果も不安定で、その上発生源に対する防除は不可能である。害虫の増殖する場所では天敵が密度を調節する重要な要因であるが、生産者が働きかけることはできない。畑作や野菜栽培は一年性の植物であり、飛来性の害虫が大部分を占める。そのため天敵の利用は益々困難と考えられ、施設等の特別な条件下での利用に限られる傾向がある。 
 元々有力な天敵が存在しない場合も天敵の利用は不可能である。 果樹園では生態系が比較的安定しており、天敵が継続して働きやすい条件がある。天敵相の貧弱な侵入害虫を生物防除の対象とした場合に、導入天敵利用の成功例が多かった。しかし土着害虫の防除に天敵を利用するには多くの難問がある。
 その場合に、天敵相のモニタリングに始まり天敵の増殖放飼・天敵の誘引・代替寄主の供給・越冬場所の確保・薬剤散布時期の調節などが天敵利用技術となる。

寄生菌の果たしている役割
 寄生菌の利用では何か特に効果のある病原体を増殖散布し、その病気によって害虫の密度を下げるといういわば”生物農薬”的な面が強調されがちである.しかしながら、本来寄生菌が害虫の死亡要因の一つとして重要な働きをしている面を見逃してはならない.例えば吸汁性の害虫であるアブラムシ類、ヨコバイ類、アザミウマ類、ハダニ類、サビダニ類などでは寄生菌が死亡要因の大きな部分を占める場合がある。 チヤノキイロアずミウマは果樹において現在重要害虫となっているが、作物以外にも多くの寄主植物がある。 そのうちの一つであるアジサイに生息するこの虫の死亡要因を見ると、昆虫疫病菌の一種であるNeozygites属による死亡が、年間を通じて最も多く、次いで卵寄生蜂のアずミウマタマゴバチによる死亡が多い.ところが、ブドウ園におけるチヤノキイロアザミウマの死亡要因はこの両者による死亡がはとんど見られず、ハナカメムシ、カブリダニによる捕食がわずかに見られる程度にすぎない。この差はブドウ園で使用される殺菌剤、殺虫剤によって主要な2種の天敵の活動が完全に阻害されていることを示している. 
このような例はアブラムシ類の寄生菌であるEntomophthora属、Verticillum属などの寄生菌、サビダニ類の寄生菌であるHirsutella属の糸状薗と殺菌剤の関係にも現れている。 圃場内で本来大きな力を発揮していた昆虫寄生菌が合成殺菌剤の多用によって全くその機能を失ってしまつたことが大きな問題である.このような現象は殺虫剤と寄生性天敵・捕食性天敵の関係について広く知られていて、害虫相の変遷や、害虫の大発生の原因として論ぜられることが多い。 ところが、殺菌剤と寄生菌の関係についてはあまり研究が進んでいな.これは、外国ではわが国と異なり、果樹に対する殺菌剤の使用はブドウを除いてはあまり多くないこととも関係している. わが国の場合、気象条件から考えて殺菌剤の使用は止むを得ないものが多い.したがって、寄生菌を果樹園内で利用する場合には殺菌剤の選択性を利用するか、殺菌剤耐性寄生菌をつくり出すことしかない.殺菌剤と代表的な寄生菌の感受性の調査結果では多くはボルドー液には感受性が低いが、これが本来の性質なのか、ボルドー液の使用による耐性の発達の結果なのかは不明である。 今後バイオテクノロジーの発達に伴って耐性菌の作出などが容易にできるようになれば、これらの昆虫寄生菌を利用することが可能になるかも知れない.